うつペディア

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Revised on 2012年07月25日(水) 21時50分06秒 +0900 by <Unknown>
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休学・退学に関する体験談/TIPS

中学校を休学した体験談

高校を休学した体験談

  • 中学生の頃からウツなどの精神障害がありました。自分の通った高校は1/4の欠席で留年確定でしたが、傷病届を出したことで1/3まで欠席が認められ無事3年間で卒業ができました。使える制度は使う、出来る範囲で前向きになったことが良かったと思います。制度を知らないと損をすることも多いので調べてくれる家族などのサポートに感謝しています。

  • 2008年、高校一年の11月に体調を崩し、行ったり休んだりをしながら、だんだん悪くなって行く日が減って、実質休学状態になって行きました。 家で何をする気も起きなくて、初めはずっと寝ていました。ゆっくりする余裕が出てくるとテレビをだらだら見るようになりました。休学手続きをした覚えはありません。確か親に電話してもらって、しばらく行きませんって話をしただけだった覚えが…。実はその時結構しんどい状態だったので、記憶が曖昧です。確か半年以上休んでました。休学する前は親とかが出来るだけ学校行けって感じで、それで余計にストレスがたまっていって、どんどん行く日が減り、体調も悪くなっていき、あることがきっかけで休むことにしました。半年以上たってから、少し良くなったので学校に電話して、初めは一カ月に1,2回ぐらい保健室で少しの時間を過ごすって感じでした。でもなかなか体調が良くならず、その学校が進学校でもあり、なかなか学校にも行けず、途中で通信制の高校に転校しました。行ける日に少しだけ行くという生活をしてました。そこでは結構気兼ねしなく過ごしました。(いろんな事情を持った人がいたので)。今はそこを卒業して通信制の大学に今年入学しました。現在は体調は昔よりだいぶいい状態です。ただ、まだ疲れやすかったりして、外出時間も限られてて、うつ状態にもなったり、集中力もあまりないです。病院とカウンセリングにも行ってます。(病歴4年)

大学を休学した体験談

  • 大学3年生の4月に入っても全く学校に行けず、5月に休学を決意することにした。休学は1年単位で、復学は翌年の4月に3年生から、また、休学費として1年間の学費の半額(私大なので80万ほど)を納めるシステムだった。手続きは、教務課から休学届を送ってもらい、記入し、医師の診断書を合わせて同封し返送。教授会で承認され、6月から休学扱い。休学届には理由の欄があり、しかも手書きで、とても気力が要った。休学費の振込みに中々行けず、結局親にやってもらってしまった。その後色々思うことがあり10月に退学した。結果的にすぐ退学すればお金がかからなかったわけだが、当時の自分には時間が必要で、除籍というのはそれだけ大きな決断だった。(抑うつ、適応障害:1年9ヶ月)

  • 大学3年の3月に鬱になり、4年生の後期から休学することにした。私の大学では休学は半年単位からで休学中の学費は掛からなかった。しかし、休学期間中は奨学金の支給は停止となった。休学の際は、医師の診断書とともに学部長の判が押された休学届を学部の事務に提出した。 半年間の休学後、2度目の4年生を迎えたが、教育実習での無理がたたり、また大学に行くことができなくなった。結局その年は留年した。 3度目の4年生も卒業研究がなかなかできなかったが、指導教員の温情もあり、何とか6年掛かって学部を卒業した。もしこの年も留年していれば強制退学になる羽目であった。(esedaru)

  • 大学院入学後2ヶ月でうつになり約1年ほど、休学していました。授業はもちろん、研究活動もままならず、いわゆるベット生活がつづきました。そういったことも「ダメな自分・サボっている自分」という自分への言葉として返ってきて、相当なストレスになっていました。いま振り返ると、「環境の変化」が原因のひとつだったのかなと思います。特に人間関係で、苦しむ必要があった環境にいたわけでもないし、将来の見通しに絶望するような状況に追い込まれていたわけではないですし。恵まれた環境でした。ですが、当時は人間関係に悩んでいたし、将来に絶望していました。この環境から抜け出すには文字通り「死ぬ以外にない。」と考えていました。そのときは、いままでともに研究活動でがんばってきた仲間やそれらを支えてきた彼女が、物理的に離れていった(仲間は別の大学院に進学、彼女はアメリカに留学)時期でもあります。それらは誰にでもある「環境の変化」であると思います。僕も当時「自分の一人でなんでもできる!」と考えていましたし、当時の自分はまさに「悩みなんて知らないプラス思考のスーパーマン」になろうとしていました。しかし、知らないうちに自分が考えてもいないことが、自分の体へのストレスとなっていて、いつのまにか、さっきのように考えるようになっていたのです。うつは、いやだなと明確ストレスとして自覚できるイベントなり何なりがあったからやってくるもんでもないのかな、と思っています。だから、だれでもおこると思います。自分は幸い、所属していた研究室の理解があったことや、学校の保健室の先生が認知行動療法の専門家医師であったこともあり、様々な人のサポートをもと無事卒業できました。いま、あのときすべてを投げ出さなくって、本当によかったと思っています。でも同時、あのとき本当にすべてを投げ出したくなっていた自分もいるということは忘れることはできません。

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